2006年04月03日
大人を叱れる人
大人を叱れる人がいた。
ある日の集まりの中でこんなことがあった。
A氏は,60歳過ぎても行動が常に自分の利益ばかりに働き、姑息な振る舞いが目立つひとであった。
その日B氏と同席した。
後日、そのとき会話のことで、A氏がB氏に確かめようとしていた。
A 「先日、私のことを『馬鹿ヤロウ』と言ったでしょう?
B 「そんなことは言ってない。 よく聞きなさい『大馬鹿ヤロウ』と言ったんです。」
A 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
一同「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」納得
B氏の物言いは居丈高でもなく、不遜でもなく、正面からそして静かでした。
B氏は、かっこよく生きている人では無い、彼にとって自分らしく生きているだけ。
B氏の姑息 卑怯を良しとしない生き方が、周りの人の心の座標を正させる。
先日私が「先に生まれたものは、後からの人に対し責任があると思うんです。」と書いたら
伊敷さんが
>先に生まれた者が何が残せるのか、その人の役に立つのかというと
>「考え方」「生き方」という無形のものです。
>りっぱな生き方ではなく、
>格闘する、悩む、絶望する、感動する、
>一生懸命に生きる、取組む姿から、いろいろな人が感じて汲み取る。
先日、東京のサクラが満開の日かれは逝きました。
私も、「自分が10年20年後に生きていたら、あんなふうになりたい」と思わせてくれる大人でした。
もう自分の歩みを照らし合わせることが出来ないことが悲しいです。
私もまだ『大馬鹿ヤロウ』と言ってもらいたいよー。
普通に見事に生きることを見せていただきました。
有り難うございました。
願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ (西行法師)
コメント
comments(3)
桜散る。
姿がまぶたに。声が耳に。こころが魂に。余韻をこの世に残すような生き方をしたいですね。合掌
自然体で、普通で、でも逝ってさらに知らしめられる偉大さでした。
二人の短いコメントのやりとりに
感動しました。
何故なのでしょうか?